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ハンス・ウルス・フォン・バルタザール

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ハンス・ウルス・フォン・バルタザール

司祭、神学者、霊的指導者、出版社代表、編集者、翻訳者、在俗会の共同創立者として、ハンス・ウルス・フォン・バルタザールは、神を顕し天地創造の目的を明らかにするアルファでありオメガたるキリストを立派に証しました。

子供時代と教育

ハンス・ウルス・フォン・バルタザールは、1905年8月12日にスイスはルツェルンで生まれました。バルタザール家は、ルツェルンに長らく優れた貢献をしていた貴族の家系でした。バルタザールの父親オスカールはルツェルン州の公共事業部門に携わっており、母親のガブリエル(旧姓 ピーツカー・アポル)は、ハンガリーの男爵の家系出身でした。

未来の神学者は、中等教育をスイスはエンゲルベルクのベネディクト会付属学校の寄宿生として開始しますが、後に、スイスとの国境付近にあるオーストリアの町フェルトキルヒのイエズス会系の学校に転校します。1923年に学校を卒業したバルタザールは、それからウィーン、ベルリン、チューリヒにて文学と哲学を学びました。1928年、チューリヒ大学にて博士論文『近代ドイツ文学における終末論的問題の歴史』を提出し、この論文は彼の最初の三部作『ドイツ的魂の黙示録』(1937-1939)の基礎となります。啓示に照らした思想史との取り組みは、それ以降もバルタザールの著作の重要な特徴となります。

子供時代、バルタザールは既に音楽に夢中でした。クララ・シューマンの生徒に指導を受け、ピアノの才能に恵まれたバルタザールは、当初はオーケストラの監督になろうと志しました。バルタザールが最初に出版した著作は、大学時代に書かれたものですが、それも音楽に関するもので、『音楽的理念の発展について。音楽の統合に向けて』(1925)というタイトルでした。 

子供時代のハンス・ウルス・フォン・バルタザールギムナジウム時代のバルタザール、オーストリア、フェルトキルヒにて
学生時代のバルタザール(中央)、両親、弟ディーターと妹ルネイと共に
  1. 子供時代のハンス・ウルス・フォン・バルタザール
  2. オーストリア、フェルトキルヒにて、ギムナジウム時代のバルタザール
  3. 学生時代のバルタザール (中央)、両親と弟ディーター、妹ルネイと共に

聖イグナチオ・デ・ロヨラとの出会いとイエズス会への入会

1927年、黒い森でのイグナチオ霊性の修養会中、バルタザールは、奉献生活においてキリストに従うという「突然の意図せぬ召命」を受けます。この召命に答えることになったバルタザールは、その2年後、イエズス会に入ります。

イエズス会の学生として、バルタザールは哲学をミュンヘン近くのプラッハで、神学をフランスはリヨンのフルヴィエールで学びます。この時期、彼は二人のイエズス会士、エーリッヒ・シュヴァラとアンリ・ドゥ・リュバックに大いに影響を受けます。シュヴァラはバルタザールがカトリック信仰の中核においてアナロギアの原理を発見することを助け、ドゥ・リュバックはバルタザールに教父たちの神学の普遍的な精神を知らしめます。

バルタザールのリヨン時代の重要な成果の一つは、オリゲネス、ニュッサの聖グレゴリオス、証聖者マクシモスに関する一連の単行書です。これらに加えて、バルタザールは教父たち(とりわけ聖アウグスティヌス)の翻訳やアンソロジーを多く出しました。バルタザールがシャルル・ペギーやジョルジュ・ベルナノス、ポール・クローデルなどの作家に親しむようになったのもリヨン時代で、バルタザールはこれらの作家の作品の翻訳、アンソロジー、研究を通して、彼らをドイツ語圏に紹介することに貢献したのです。

1936年、バルタザールは、ミュンヘンの勇敢な反ナチス的立場の大司教ファウルハーバー枢機卿によって、司祭に叙階されます。バルタザールが最初のミサをあげたことを記念するカードには、最後の晩餐でイエスの胸元に寄りかかるヨハネが描かれています。バルタザールがその絵に添えたモットーは、「(パンを)祝福し、裂き、与えた」という言葉でした。このようにして、バルタザールはイエズス会士として、また司祭としての自分の理想を表したのです。それはつまり、自己を徹底的に主に捧げ、主と共にエウカリスティア的に砕かれ、配られる覚悟を示したということです。

学業を終えたバルタザールは、ミュンヘンに拠点を置くイエズス会誌「Stimmen der Zeit」の編集者として働くよう派遣されますが、1939年にナチス・ドイツから追放されることになり、その任期は短縮されてしまいます。その次の年、バルタザールは高名なローマのグレゴリアナ大学での教授職をオファーされますが、それを断ります。彼は、バーゼル大学の学生チャプレンとして、若者を相手に司牧を行う方を選んだのです。

バーゼル大学の学生チャプレン時代のバルタザール

1.バーゼル大学で学生チャプレンをするバルタザール
2.スイスで夏の神学講座中、学生のグループと共に(1948年)

バルタザール、スイスで夏の神学講座中、学生のグループと共に(1948年)

1.バーゼル大学で学生チャプレンをするバルタザール
2.スイスで夏の神学講座中、学生のグループと共に(1948年)

アドリエンヌ・フォン・シュパイアとの出会いと、二人の協力関係の始まり

バーゼル大学のチャプレンの職に就いてすぐ、バルタザールはアドリエンヌ・カエギ=フォン・シュパイア医師に出会います。彼女は当時、高名なバーゼル大学歴史学科のヴェルナー・カエギ教授の妻でした。カトリシズムに多大な関心を持つプロテスタントであったアドリエンヌは、自分の信仰の旅路について、バルタザールと話す機会を求めていました。1940年11月1日、バルタザールはアドリエンヌに「条件付き洗礼」を授けてカトリック教会に迎え入れ、カトリック信仰の基本的な事柄を指導し、最終的にはバルタザールはアドリエンヌの聴罪司祭となりました。

アドリエンヌとの出会いは、バルタザールの生涯において転換点となります。カトリックに転会してすぐ、アドリエンヌは神秘的幻視を次々に受け取り始めます。これら神秘的幻視を教会において教会のために正しく解釈するには、バルタザールのような聴罪司祭の助けが必要でした。アドリエンヌの受けた賜物には、観想的祈りのために聖書に注釈を付けるという特別な能力も含まれましたが、これにもバルタザールの助けが必要でした。長い歳月をかけて、アドリエンヌは70巻にもなる量の口述筆記を行いました。すべての口述筆記はバルタザールが速記し、出版用に整理したのです。バルタザールが1947年に立ち上げたJohannes Verlag(ヨハネス出版会)は、生きたカトリックの伝統を伝える古典から現代の声を伝える他、アドリエンヌのこれらの著作を出版するのに役立ちました。

バルタザールとアドリエンヌに託された共通の働きは、1945年聖ヨハネ共同体(Johannesgemeinschaft)の設立をもって、頂点を迎えます。これは、世の真っ只中に合って福音的勧告(貞潔・清貧・従順)を生きることに献身する在俗会です。この共同体の守護聖人はイエスの愛しておられた弟子、使徒ヨハネであり、また聖イグナチオ・デ・ロヨラもこの共同体において重要な役割を果たします。バルタザールとアドリエンヌにとって、使徒ヨハネと聖イグナチオは、愛と従順との結びつきをよく理解していたという点で一致しているのです。愛と従順の結びつきは、その原点はキリストにありますが、キリストに従う者たちの内にも反映されるべきものです。

ハンス・ウルス・フォン・バルタザールとアドリエンヌ・フォン・シュパイア、聖ヨハネ共同体と共に休暇中、ブリュターニュ地方サン・ケにて(1954年)

ハンス・ウルス・フォン・バルタザールとアドリエンヌ・フォン・シュパイア、聖ヨハネ共同体と共に休暇中、ブリュターニュ地方サン・ケにて(1954年)

聖ヨハネ(東方教会では特に、神学者の中の神学者として尊ばれている)の印の下でのアドリエンヌとの協力関係は、バルタザール自身の神学的執筆活動に決定的な影響を与えました。何よりもまず、それは生きた信仰と結びついた、彼自身の「ひざまずく神学」へのコミットメントを確かなものとしました。「ひざまずく神学」は聖人たちや神秘家たちの証を重要な源とするものでした。バルタザール自身が後に述べているように、彼の仕事の中心はあくまでも聖ヨハネ共同体の活動であり、その次が出版活動でした。それは、他の多くの著者の著作の他、アドリエンヌ・フォン・シュパイアの膨大な著作を出版することを意味し、バルタザール自身の著作の出版は、彼にとっての重要性としては「三番目であり最後」だったのです( Zu Seinem Werkを参照) 。

活発に活動したこの時期は、バルタザールにとって自己を見つめる時でもありました。彼は長い間をかけて識別した結果、1950年に彼の「何より愛してやまない故郷」イエズス会を退会する決意をします。イエズス会が彼のアドリエンヌとの協力関係を支持しなかったからです。イエズス会を退会した後も、彼はヨハネ的霊性に加えて、イグナチオ的霊性に基づくミッションに尽力しました。

使徒ヨハネと聖イグナチオ・デ・ロヨラの足跡にならう、教会への奉仕

チューリヒに短い期間住んだ後、バルタザールは最終的にバーゼルに腰を据え、そこで聖ヨハネ共同体を指導し、アドリエンヌの著作を出版し、ヨハネス出版会Johannes Verlag を運営しました。バルタザールは著述家としても講演者としてもフルに活動していましたが、霊的指導者、特に若者や学生たちにとっての師としても大いに求められました。

1961年、バルタザールの代表作である三部作の第1巻が出版されました。三部作は、神の啓示をそれぞれ美・善・真に照らして表すものです。三部作の第一部、Herrlichkeit『栄光:神学的美学』 (1961-1969)は、神の美の栄光ある顕れについて論じ、第二部Theodramtik『神の演劇学』 (1973-1983)は、神の自由と人間の自由の劇的な衝突に焦点を当て、そして最後の第三部Theologik『神の論理学』 (1985-1987)は、神の真理と世の真理との間のアナロジーを論じています。三部作全体に、バルタザールの特徴である、西洋思想への深い造詣と神学的独創性の絶妙な組み合わせが見られます。

バルタザールと教皇ヨハネ・パウロ2世、教皇の呼びかけにより開かれたアドリエンヌ・フォン・シュパイアの教会的使命に関する国際シンポジウムにて(1985年)
バルタザール、友人であり師でもあったアンリ・デュ・リュバックと共に、スイスのリギ山にて

1.バルタザールと教皇ヨハネ・パウロ2世、教皇の呼びかけにより開かれたアドリエンヌ・フォン・シュパイアの教会的使命に関する国際シンポジウムにて(1985年)
2.バルタザール、友人であり師でもあったアンリ・デュ・リュバックと共に、スイスのリギ山にて

三部作と並び、バルタザールは教会生活を扱った著作も数多く発表しました。Schleifung der Bastionen『砦を破壊せよ:今日の教会について』 (1952)では、第二ヴァチカン公会議のテーマを予期し、カトリックとして恐れず、その信仰に不純物を混ぜることなく近代性に取り組むことについて論じています。さらに、第二ヴァチカン後には、 Wer ist ein Christ?『キリスト者とは何者か』 (1965) や Cordula oder der ernste Fall『コルデュラ、または危急事態:キリストを証することについて』 (1966)などで、信仰に不純物を混ぜることに頑なに反対しました。最初から最後まで、バルタザールは、教会と世の関係を、一般信徒の奉献の神学という観点から見ていました。それは、Der Laie und der Ordensstand (1948), Christlicher Stand 『キリスト者の身分』(1940er Jahre, publ. 1975) 、またはBerufung(1966)などの著作で論じられているテーマです。この世の神学的重要性は、人間の自律にあるのではなく、イエス・キリストの過越の神秘にある、とバルタザールは考えていました。

1950年代初期には、既にヨーロッパ中で、バルタザールの著作は評価されていましたが、彼の教会への貢献が本当に認められ始めたのは、1950年代後半のことです。1969年、バルタザールは教皇パウロ6世によって国際神学委員会に任命されます。1965年には、バルタザールは「アトス山の金の十字架」賞を受賞しましたが、これは彼の著作の宗派を超えた重要性を強調するものでした。プロテスタントの神学者カール・バルトとの何十年にも渡る交流もその一例です。

1970年代初期までに、バルタザールは第二ヴァチカン公会議を正しく解釈するために重要な基準点として扱われるようになっていました。彼が、ヨーゼフ・ラツィンガー、アンリ・ドゥ・リュバックなどの神学者たちと、国際的神学論文雑誌Communioを立ち上げたのは、第二ヴァチカン公会議の神学的源に立ち返る(ressourcement)ためでした。Communioは、1973年に刊行し、14ヶ国語で刊行されています。

バルタザールの国際的名声は、数々の国際的賞や名誉博士号の受賞によっても裏打ちされています (中央スイス文化賞 (1956)、エディンバラ大学名誉博士号 (1965), ミュンスター大学名誉博士号(1965), フライブルク大学名誉博士号(1967)、アメリカ・カトリック大学名誉博士号 (1980)、バイエルン・カトリック・アカデミーよりロマーノ・グアルディーニ賞(1980)、チューリッヒのゴットフリート・ケラー賞(1975)、ザルツブルク・ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト賞(1987))。

1984年、バルタザールは、彼の著作をよく知り評価していた教皇ヨハネ・パウロ2世から、パウロ6世賞を授与されます。ヨハネ・パウロ2世はまた、1988年5月28日、バルタザールを枢機卿に任命することを発表しました。

しかし、バルタザールは1988年6月26日にバーゼルの自宅にて帰天してしまいました。それは彼が正式に枢機卿団に加えられる3日前のことでした。彼の葬儀は、ヨーゼフ・ラツィンガー枢機卿(当時)によってルツェルンのホーフ教会で執り行われ、彼はそこに安置されました。バルタザールの最後の著書Wenn ihr nicht werdet wie dieses Kind『子どものようにならなければ』(1988)は、死後出版されましたが、彼が最後まで大切にした福音的子どもらしさの精神を証するものです。

「バルタザールが望んだものは、聖アウグスティヌスの言葉によって要約することができるかもしれない。『親愛なる兄弟たちよ、この世の人生における私たちの務め全体は、心の目を癒すことにあるのだ。その目で神を見ることができるように』。これこそバルタザールにとって重要なことでした。すなわち、心の目を癒し、その目で本質的な事柄、世と私たちの人生との理由と目的を見られるようにすること。すなわち、神、生ける神を見られるように」(ヨーゼフ・ラツィンガー、 「ハンス・ウルス・フォン・バルタザールの葬儀説教」Communio 15 [Winter 1988])

彫刻家アルベルト・シリングによるハンス・ウルス・フォン・バルタザールの胸像(1965年)
  1. 彫刻家アルベルト・シリングによるハンス・ウルス・フォン・バルタザールの胸像(1965年)–© Leonard von Matt / Fotostiftung Schweiz 
バルタザールの叙階記念カードからの切り抜き:最後の晩餐でイエスの胸元に寄りかかるヨハネを描いたデューラーの絵。「(パンを)祝福し、裂き、与えた」という言葉が添えられている。

2.バルタザールの叙階記念カードからの切り抜き:最後の晩餐でイエスの胸元に寄りかかるヨハネを描いたデューラーの絵。「(パンを)祝福し、裂き、与えた」という言葉が添えられている。

参考文献

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  • Henrici, Peter, Hans Urs von Balthasar. Aspekte seiner Sendung, Freiburg i.Br., Johannes Verlag Einsiedeln, 2008.
  • Johannes Paul II., Leidenschaft für die Theologie. Ansprache bei der Verleihung des internationalen Preises „Paul VI.“ an Hans Urs von Balthasar am 23. Juni 1984, in „IKaZ Communio“ 34 (2005) 2, 164–168.
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  • Lehmann, Karl – Kasper, Walter (Hrsg.), Hans Urs von Balthasar. Gestalt und Werk, Köln, Communio, 1989.
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  • Schulz, Michael, Hans Urs von Balthasar begegnen (= Zeugen des Glaubens), Augsburg, Sankt-Ulrich-Verl, 2002.
  • Scola, Angelo, Hans Urs von Balthasar. Ein theologischer Stil : eine Einführung in sein Werk, übersetzt von Friedl Brunckhorst, Paderborn, Bonifatius, 1996.

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